テアトルフォンテコンサート終了!

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今日はテアトルフォンテのロピーコンサートだった!
約90人くらい聴きに来てて、熱心に聴いてくださるお客さまばかりで。
ホールの方々も準備の段階から本当に協力的でとても良いコンサートになった
アンケートを見せていただいて、こんなに喜んでもらえた本番はあっただろうか….と思ってしまった。
チェンバリストの伊代さんと一緒だと、私は完璧主義なので(結果として全然完璧ではないけど…いつも不安でいっぱいの本番が「絶対大丈夫!!」と思える。
自分がどんなに崩れたとしても必ず支えてくれて。こんなチェンバリストと今すでに出会えてよかったと本当に思う。でも実は卒業してから2、3回しか一緒に演奏してないけど、合わせのときからいつも濃い時間を過ごすことができてすごく信頼できる。
この前の10日のときには、リコーダーを楽器として認識していない人の前で演奏するのは辛かったけど(学歴から値段を判断して聴きにきたらしい。顔もばっちり写った写真もアップされているのに、リコーダーという言葉を意識的に抜いてある。私は一体なに奏者?)
感性と教養と知性があることを祈る。。
そんなことがあっての今日のコンサートだったので、少し不安はあったけどやっぱりコンサートのたびにお客さんの反応もこんなにも違うんだなぁ~と思った。
パフォーマンスもトークもプログラムも毎回違うからなにを基準にして判断してんだよ!ってかんじだけど、演奏者側も楽しみにして一生懸命であることはそういうことずべてに良い影響を与えて結果はお客さんに伝わるもんだと思うね。
….あれ、文字の色が違うわ。まぁいいや。読めれば。
でも一生懸命でも客観視できず周りが見えなくなると毒になってしまう。
今まで、全力全開でリコーダーを吹いていた。むしろそうじゃないと手を抜いていると思っていた。そういう風に演奏すると音1つ1つは思いもあるし、いい音色の音もある。でも、音楽として全体を聴いたときに全部が同じ印象で前後の関連性がなくなり、音楽ではなくなってしまう。
先日、友人の奏者に「山岡弟子はみんな音をベタっと吹くよね」と言われた。でも山岡先生の教え方じゃなくて(山岡先生の楽器がそういう特徴をしている気はするけど)自分自身の問題。
これからは音楽の中でアーテュキレーションや本当に音楽的に出したい部分や音を意識して演奏しようと思う。
当たり前なんだけどね。実際やるのには勇気がいるし、会場の音響のことも考えないといけない。
「自分 楽器 楽譜 共演者」ばかり意識してたし気持ちに余裕がなくなればくなるほどこうなってしまうけど、「聴衆 会場 音響 パフォーマンス」を意識することも絶対必要。
音楽全体、全体の状況が把握できたら、もっと自然に力を抜いて表現できるはず。

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